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忠義の武将・楠木正成を祀る湊川神社 ~神戸市中央区~

 JR神戸駅のほど近くに「湊川神社」があります。


 ここは、鎌倉末期から南北朝時代にかけて活躍した武将「楠木正成公」を祀る社です。
私はかねてより歴史が好きで、楠木正成のことをドラマや小説で知ったときから興味を持っていました。そんなこともあり、今回はここに足を運んだわけなのです。


 駅から10分前後歩いたでしょうか、目の前に大きな門が見えてきました。このあたりは、近くにハーバーランドがあるなど神戸の中心地域なのですが、外から見てもかなりの敷地を有する神社です。
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 門をくぐり拝殿へむかう参道を歩きます。
途中、楠木正成公の一代記が掲げられているのを見ると、さすが正成公を祭神とする神社といった感じです。
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 そして拝殿にたどり着きました。
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 するとこちらには、このような大きな正成公の絵馬が置かれています。
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 また、ここに立つ狛犬は勇壮な武将の様に引き締まった体格をしています。
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 拝殿の隣には末社の「菊水天満神社」があります。
学問の神様「菅原道真公」を祀った社では毎年八月二十五日に「菊水天神祭」が行われているそうです。
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 そして、参道には天神様とゆかりの深い牛がドカッと座っていました。
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 さて、湊川神社には色鮮やかな鳥居がいくつも建っているお稲荷様があります。
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 これは「楠本稲荷神社」で、社殿の中にはいると提灯が天井から吊され、毎日が縁日であるかのように大変賑やかです。
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 一方、社内にはこのようなものもあります。
これは一見ただの国旗を掲揚するための柱に見えますが、実はかつて軍艦のマストだったのだそうです。
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 続いて境内を回っていると、とても気になる場所がありました。それでは今度はその場所に行ってみようと思います。

 そこにいくにはまずこの門を通る必要があります。そのため、神社の方に一声かけて同行をしてもらいます。
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 神社の方と話しながらゆっくりと「その場所」へ進んでいきます。はたしてそこはどのようになっているのでしょうか?
なんとなくドキドキします。
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 そして見えてきたのが「楠木正成殉節地」です。
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 時は中世、鎌倉時代が終わりをむかえ後醍醐天皇による「建武の新政」がはじまります。
しかし、これは武士達にとって不平等な政治であったことから、次第に不満を持つ武士が反乱を起こすようになります。そして、ついに武士の代表格ともいえる足利尊氏が反旗をひるがえします。
これに対し、楠木正成はあくまで天皇に忠節をつくし、やがて尊氏と対峙、一時は尊氏に勝利を収め九州へ追い払いますが、再び勢力を盛り返した尊氏の大軍勢は奮戦する正成軍を一気にのみ込みました。
そして敗戦をさとった正成は弟正季ら一族・郎党とともにこの地で殉節したと伝えられています。
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 さて、この湊川神社の創建は明治五年ということで意外と新しいことに気づきます。
生前、楠木正成はとても人望があったといわれています。それは一貫して後醍醐天皇に忠節を尽くした「義」の武将であったというだけでなく、寡兵で大軍を打ち破るなど大変な知将であったことなどが大きな理由でしょう。そのため、敵として戦った武将の中にも正成に畏敬の念を抱いていたものがいたといわれます。
しかし、これほどまでに人気のあった正成ですが、幕府を開いた足利尊氏に敵対したということから、表だったお祀りをすることができなかったようです。


 そして時はながれて江戸時代、楠木正成公にスポットをあてる人物が登場します。
それは、時代劇でおなじみの「水戸光圀(黄門さま)」でありました。
(平櫛田中が制作した「水戸光圀像」)
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 光圀は大日本史編纂にあたって歴史を紐解く中で、正成公の忠義に感銘してこの墓碑をつくられたそうです。
そして、この墓碑をつくるにあたり、この地に遣わされた人物が「佐々介三郎宗淳」、そうテレビドラマに登場する「助さん」その人なのでありました。
(光圀公建立の楠木正成公の墓碑)
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(参考文献)

①現地案内板
②湊川神社略記
③湊川神社HP

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2014-01-30 : 神社 : コメント : 1 : トラックバック : 0
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備前焼あふれる天津神社 ~岡山県備前市~

 岡山県東部、兵庫県との県境近くにある町「備前市伊部」。ここは古くから焼きもの「備前焼」の産地として知られてきました。
今回、私はその伊部に備前焼ゆかりの神社があるというのでやってきました。


 「JR伊部駅」、ここは今回訪れた伊部の町の表玄関となる駅です。ここから備前焼の店が軒を並べる通りが伸びており、そこを歩くこと10分弱
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 辿り着いたのは町はずれにある「天津神社」です。
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 ここ天津神社には、医薬の守護神である「少彦名命」と学問の神様「菅原道真公」が祀られています。
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 そして、古くから備前焼の里・伊部の総鎮守として信仰されてきたこともあって、
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 境内は干支やだるまなどの縁起物やいろいろな装飾品であふれており、
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 とてもかわいい神社です。
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 鳥居を過ぎて少し行くと「神門」が見えてきました。この門は歴史が古く元文年間(1736~1740)につくられたといわれているものです。
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 そして神門を過ぎ、備前焼でつくられた参道を歩くと、
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 今度は、拝殿に向けて登る石段が見えてきました。石段を囲む塀には、備前焼作家の陶印が入った陶板が埋め込まれていて、とても鮮やかです。
それではここをゆっくりと上へと登ってみましょう。
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 石段の中腹にくると「随神門」が建っています。こちらも神門と同じく元文年間につくられたものだそうで、
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 屋根には備前焼で作られた瓦がのせられています。
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 段を登りきると拝殿が見えてきました。
こぢんまりとしていますが、境内にあふれる鮮やで深みのある焼きものの赤茶色とは対照的で清々しい色です。
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 そして拝殿の中には、お守りなどとともに、このようなかわいい備前焼の絵馬が置いてあります。
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 さて、拝殿の裏側にまわってみました。すると、ここには商売繁盛の神様「お稲荷さん」の社があります。
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 一方、こちらの方には病気平癒などにご利益があり「御祇園様」とよばれ親しまれている八坂神社が祀られています。
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 焼きものの里・伊部に鎮座する「天津神社」、ここは古より今日まで多くの陶芸家から崇められてきたといいます。
(備前焼で作られた「子宝いぬ」)
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そのことは、境内にあふれる備前焼の数々を見るとわかるような気がします。
(備前焼で作られた「七福神」)
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 そして、それら備前焼が醸し出す暖かな風合いが、この神社の独特な雰囲気を創り出し、訪れる者にほっこりとした優しい印象をあたえているのではないかと思うのです。
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(参考文献)

①現地案内板

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2014-01-22 : 神社 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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大内文化の象徴「瑠璃光寺 五重塔」 ~山口市~

 今回、私は山口市にやってきました。
ここ「山口」は、中世に西国一と謳われた大名「大内氏」が拠点を置いた町。
かつて大内氏はその経済力をもとに、山口を京風の町につくり変えていきました。
そしてこの地に優雅な大内文化が花開きます。こんにち、山口が西の京と呼ばれるのはその由縁であるということはご存じの方も多いでしょう。

そこで、山口に来たのだから、大内文化の象徴であるアレを観ずにはいられないということでやって来たのは「保寧山 瑠璃光寺」。
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 ここは文明三年(1471)に創建された曹洞宗の名刹です。
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 まず境内に足を踏み入れて、正面奥まで進むと本尊「薬師如来」を安置する本堂があります。
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 その本堂の隣には眼病の仏様として信仰をあつめる「一畑薬師」が祀られています。
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 また、一畑薬師の目の前では長寿薬師如来を拝むことができます。
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 さて、敷地の一角には「見切り地蔵(身代わり地蔵)」とよばれるお地蔵様があります。これは悪い因縁、病気、不幸などから見切りをつけたいと願う人々のために身代わりとなってくれるありがたいお地蔵様です。
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 ここ瑠璃光寺は、山口を代表する観光地です。したがって境内はたくさんの人であふれています。
(本堂に立てかけられている県下一の大杓子)
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 その喧騒を避けるように、本堂の裏手に来てみました。ここには四国の金比羅さんの御分霊をお祀りした「金比羅神社」が建っています。これは古来より航海安全の神様として崇められている社です。
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 さてそろそろ、お目当てのアレを観にいかないといけません。それは、いうまでもなく「瑠璃光寺 五重塔」です。

 国宝に指定されている、この塔は高さ31.2mにもおよぶ建築物です。
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 特徴はなんといっても見た目の美しさで、当時の宮大工もそのことを十分意識して設計を行ったといいます。そして現在では、奈良の法隆寺や京都の醍醐寺にあるものと並び日本三大名塔の一つに数えられています。
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 嘉吉二年(1442)、大内家第二十六代当主「盛見」は、応仁の乱で亡くなった兄「義弘」の霊を弔うため、この五重塔を完成させました。一種のお墓とも呼べる塔の中には遺骨こそないものの、阿弥陀如来と義弘の銅像が祀られているそうです。
それにしても、亡くなった兄のため、時間と財力を費やして、ここまで優美なものを建ててしまうとは・・・。


なんとも美しき兄弟愛ではないでしょうか・・・。

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(参考文献)

①現地案内板
②「山口 曹洞宗 保寧山 瑠璃光寺」案内冊子

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2014-01-14 : 寺院 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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西国一の大名「大内義隆」の菩提寺・龍福寺 ~山口市~

  山口県山口市、ここは室町時代に守護大名の大内氏が、都に模した街造りを行ったことから西の京と言われています。
そして、その際に市内を流れる「一の坂川」は京の賀茂川に見立てられたといいます。
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 そして、その一の坂川のほど近くに、今回訪れた「曹洞宗・瑞雲山 龍福寺」があります。
門前の静かな参道はとても風情があり、実に深みがあります。
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 参道を歩き、やがて山門へと辿り着きます。
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 山門をくぐると、すぐ近くには「宝現霊社」という社があります。
龍福寺の鎮守である宝現霊社は、周防守護の大内氏歴代当主を祀る社でもあり、
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 社殿には家紋の「大内菱」を見ることができます。
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 さて、このような社がここにあるのには理由があります。
それはここ龍福寺が大内氏31代当主「義隆」の菩提寺だからなのです。


 山口を拠点とする大内氏は、代々海外との交易などによって強大な力を蓄えてきました。そしてその隆盛は義隆の時に最盛期をむかえます。しかし、文芸に傾倒しすぎた義隆は重臣「陶晴賢」の謀反に遭い、ついには自刃することになります。そして、大内氏は事実上滅亡してしまいます。
(義隆辞世の句碑)
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 その後、陶晴賢を破って周防を平定した毛利氏が、大内義隆の菩提寺として龍福寺を建立するのでした。
(義隆の供養塔)
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 文明十一年(1479)に建立されたといわれる本堂にやってきました。これは室町時代の建築様式をよく表している建物だそうで、近年行われた大規模な保存工事で建立当初の姿を取り戻したのだそうです。(国指定重要文化財)
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 一方、こちら義隆の父である「大内義興公」の像がある建物は
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 史料館です。私が訪れたときは残念ながら閉館していましたが、開いていればテレビなどで目にする「絹本着色大内義隆画像(山口県有形文化財)」が観られたはずです。
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 さて、毛利氏は龍福寺を建立するにあたって、大内氏の居館跡を利用したようです。したがって、敷地内ではその遺構をみることができます。
 こちらは遺構を元に復元された「池泉庭園」で、京をも凌ぐといわれた繁栄を山口にもたらした大内氏の煌びやかな生活が見事に再現されています。
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 一方、こちらは「石組かまど」。この付近からは調理具なども見つかっており、台所であったものと考えられています。
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 また、池の付近ではこのような井戸の遺構も見つかりました。
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 大内義隆はポルトガルの宣教師「フランシスコ・サビエル」に日本で初めてキリスト教の布教許可を与えた大名としてその名を知られています。それは織田信長の「桶狭間の戦い」に先立つ5年前のことであり、サビエルは当時、最も力のある大名として義隆に布教の許可を求めたのでした。
(山門脇にあるサビエルが布教をしたとされる井戸を再現したもの)
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 一時は中国地方から九州北部に権勢を誇った大内氏。
西国一と謳われた大名の館があったこの場所には豪壮な建物が建ち、それは美しい庭園が広がっていたのではないでしょうか。しかし、その栄華を伝えるのは、今となってはここに残された「豊後石」などわずかなものだけになってしまいました。
(庭石として豊後から持ち込まれた岩)
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 最後に境内をゆっくりと歩いてみました。すると真冬だというのに花が咲いているのを見つけました。もしかすると、これは文芸をこよなく愛した義隆に手向けられた花だったのかもしれません。
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(参考文献)

①現地案内板
②Wikipedia

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2014-01-08 : 寺院 : コメント : 1 : トラックバック : 1
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必見!!宝珠山妙見寺観音堂 ~兵庫県赤穂市(坂越)~

 今回訪れた「宝珠山妙見寺」は江戸時代、多くの廻船が行き交ったという坂越湾を見下ろす高台にあります。
天平勝宝年間(七四九~七五七)に行基菩薩によって創建された妙見寺は、山肌を背後にしており決して広い境内とはいえませんが、小さなお堂が寄り集まりとても趣があります。
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 そして、まずこのお寺で一番の見どころとなるのが、美しい姿の「観音堂」でしょう。見てください、均整のとれたボディーにカーブの効いた屋根。
赤穂市の有形文化財にも指定されているこのお堂は、山の斜面に持たれかかるように造られた懸造りと呼ばれる形式をとっており、中にはご本尊の「聖如意輪観音像」が安置されています。
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 さらに、ここからの眺めはすばらしく、穏やかな坂越湾とそこに浮かぶ「生島」を見ることができます。
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 さて、観音堂のほど近くには、「薬師堂」が建っています。こちらもなかなかの雰囲気を持つお堂で、ここに安置されているご本尊の「薬師如来」は弘法大師の自作といわれています。
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 一方、こちらは妙見堂、ここには北斗七星の北極星を象徴するという妙見大菩薩が祀られています。
この妙見大菩薩は国土の護持や福寿に功徳があるといい、同時に吉方へ導く仏として廻船業者や商人から厚く信仰されています。
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 また、この地蔵堂は小さいですが、歯痛の時に使用中の箸を供えてお願いすれば痛みがおさまると言われている霊験あらたかなお堂です。
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 境内にはその他、宝珠山を守護する稲荷大明神が祀られている「稲荷堂」などがあり、これらのお堂を見て回るだけでも十分に雰囲気を味わうことができます。
 そこで思うことは、広い境内をもつ格式の高い古刹・名刹を訪ね歩くのもよいけれども、たまにはこのような小さくても凛とした地域の名寺院を訪れてみるのもよいのではないかということなのでした。


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(参考文献)

①宝珠山妙見寺案内冊子


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2013-12-19 : 寺院 : コメント : 1 : トラックバック : 1
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